3月も後半になり、新年度に向けた医局人事を受け、各関連病院では来年度に向けた戦略が練られている時期と存じます。4月からの新年度、医師の偏在はやや改善する傾向を見せています。たとえば、秋田大学の卒後1年生が県内に初期研修医として残る率が2004年の臨床研修制度開始後初めて50%を超えました。このことは秋田大学の医局の復権が僅かではあるが進んでいることの証左といえるでしょう。
そうは言っても、まだまだ医師不足で悩んでいる都道府県は多数あります。医師偏在問題の打開策を探るため、全国医学部長病院長会議と日本医師会による初めての会合が3月19日に開かれました。
これは医学部長病院長会議から日医に呼びかけて実現したもので、同日の医学部長病院長会議の定例会見で明らかにされました。会合は「医師偏在解消策検討合同委員会」と名付けられ、今後数回開催して早ければ6月中にも提言をまとめる方針です。
会見では会合の様子が一部紹介され、「大学に医師派遣機能を戻すことが、大きな解決策になる」「新医師臨床研修制度のマッチング制度が地域偏在、診療科偏在を助長してしまった」などの意見で両団体の考えが一致していることが確認できたとしています。
荒川哲男会長(大阪市立大学医学部長)は会見で、2004年度から必修化された新医師臨床研修制度におけるマッチング制度について、「(医学部卒業生が)好きなところ、好きな診療科を選べる自由度を高めてしまった」との見方を示しました。また、医師育成に多額の税金が投じられていることが忘れられており、「自力で医師になった」という意識が根付いてしまったとの認識を示し、マッチング制度が医師の適正配置を統制できなくなった理由の1つであると指摘しました。 同時に、荒川氏は会合の中で医療過疎地での着任を義務化すべきとの意見があったことも明らかにしました。
医局の復権
秋田大学をはじめとして、医局の復権を感じさせる動きが少しずつ出てきていますね。
2003年までと同じ状態に復古させるのは難しいでしょうが、少なくとも医師不足の著しい都道府県に限っては一定程度の医局の復権も悪くないのではないかと思います。
医局講座制ですが、大学病院では診療科ごとの人事組織を意味します。今では臓器別の再編が進んですくなくなったものの、第1外科、第2内科というように「ナンバー制」をとることもございます。講座は大学医学部で教育や研究を担う組織です。教授が統べる組織です。通常、医局と講座は一体的運営されます。医局制度の歴史は古く、明治時代に遡ります。大学東校(現東京大医学部)が1893年(明治26年)、ドイツの大学医学部に倣って導入したのが最初で、全国の大学へと広がりました。
医局講座制はピラミッド型の組織で、教授の下には准教授、講師、助教、大学院生、研修医などがヒエラルキー構造で配置されます。権限は教授に集中し、教育、研究、診療に関わることはもちろん、関連病院に派遣する医師の人事権なども握ります。
教授の職務ですが、若手医師が学位や専門医の資格を取得する手助けをするのが基本的な役割と言えます。また医局員をローテーションで関連病院に派遣し、地域医療を支えてきました。
医局を辞める流れに変化
2004年に医師の臨床研修制度が改革され、医師免許を取った人は研修先を自由に選べるようになりました。出身大学の医局に入らず、民間病院を選ぶケースが続出して、医局は弱体化してきましたが、先述したように医局の復権を感じさせる動きがあるのも事実です。例えば、近年は専門医の質向上を目指した認定制度の見直しが進んでおり「支援体制が充実した医局に有利に働く」との見方もございます。
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